I I.--.---株式会社アイ建築工房 〒0802023年9月発行TEL0155671116 FAX01552459 北海道帯広市西19条北1丁目5番15号418815龍王橋中津川川国山中津SMLEVOL.45HOUSE&LIFESTYLEMAGAZNE偉大な教育者であり思想家であった福澤諭吉が多感な時代を過ごした旧居中津城中津市歴史博物館中津市立南部小中津市役所福澤諭吉旧居福澤諭吉旧居福澤記念館福澤記念館福沢公園闇無濱神社(龍王宮)豊国畜産ぶんこやゆめタウン中津合元寺セブンイレブン右:旧居内観 板天井に漆喰の壁、襖を開放すると続き部屋で広々と感じる。往時の福澤家が垣間見れる落ち着いた空間。■ 名 称 : 福澤諭吉旧居■ 年 代 : 享和3年(1803年)■ 建築様式 : 木造茅葺平屋建■ 指 定 : 昭和46年6月22日 国指定史跡(1971年)■ 営業時間 : 9:00~17:00(最終入館16:30まで)■ 休館日 : 12月31日■ 所在地 : 大分県中津市留守居町582 ■ 電話番号 : 0979-25-0063URL:https://fukuzawakyukyo.com 福澤諭吉は天保5年12月(1835年1月)中津藩の大阪蔵屋敷で生まれてすぐに、父の百助が亡くなる。母子6人は中津に帰ることとなり、諭吉はまだ1歳6ヶ月だった。中津の留守居町の元の屋敷に戻ったが、それから母の実家だった今の旧居に移る。母屋は木造茅葺の平屋で5間、北側に瓦葺2階の土蔵があり、自ら改造した2階の部屋で勉学をしたと言われている。この家で長崎に遊学するまで青少年期を過ごし、大阪の緒方洪庵の適塾を経て江戸に行き慶應義塾を開いた。その後、生涯の多くを大分県/中津市東京で過ごした。 明治3年(1870年)「中津留別之書」を残して母を伴い一家は中津を離れた。その後旧藩主・奥平家を経て明治末に当時の中津町に寄付されて現在に至る。諭吉がたびたび帰省していることから、この家がある中津が幼少青年期を過ごした思い出深い場所ということがうかがえる。 旧居は昭和46年6月(1971年)国指定史跡となり、隣接して福澤記念館が建てられた。福澤諭吉旧居
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